満月

  昔、あるところに教祖様がおりました。うら若い女性ながら未来を見る力があるということで、毎日たくさんの人々が教祖様に一目会ってお言葉をいただきたいと集まってくるほどでした。

教祖様には一人の部下がおりました。教祖様のことを心から尊敬し、かげひなたなく働く男でした。不思議な力はないものの人望はとても厚く、教祖様が忙しいときなどは代わりに人々の相談を聞いてやったりしていました。教祖様もその男を信頼して、安心して代理を任せているのでした。

ある日、教祖様はその男を自分の部屋に呼びました。
 「あなたは、人々から悩み事の相談などもよく受けていますね。今日は私の悩みを聞いてもらえませんか?」
 男は少し笑って、
 「何をおっしゃるんです、教祖様ほどのお方が悩みなどあるわけがないではありませんか。」と答えました。

 「いいえ、他人のことはよくわかっても、自分のことになるとわからないことがあるものです」
 「またご謙遜を・・・教祖様に限ってそんなことはないでしょう。来世までも見通す力がおありなのですから。それに、教祖様がわからないことが、私ごときにわかるわけがありません。」

教祖様のがっかりした顔に気づかないふりをして、男は足早に部屋から出て行きました。

男の心には怖れがありました。教祖様が打ち明けた悩みに、自分がよい答えを出せなかったらどうしよう。教祖様の信頼を失うのが恐かったのです。でも実は、教祖様にも悩みがあることに男は以前から気づいていました。しかし、それを聞いてしまったら、自分の教祖様への尊敬が薄れてしまうのでないか。教祖様は悩みなどない素晴らしい方であってほしい。そんな願望もあって見て見ぬふりをしていたのです。

  その日から、男はそれとなく教祖様と二人になるのを避けるようになりました。公務の上ではいままで通りに、いや今まで以上に熱心に勤めていたので、周りの人は誰一人として気づくことはありませんでした。教祖様もその男に変わらぬ信頼を置いていました。そうして平穏に月日は流れていきました。

 
 満月の夜。
 男は遅くまで教祖様の屋敷に残って机に向かっていました。扉から入り込む気持ちのよい一陣の風にふと振り向くと、そこに教祖様が立っていました。

 「眠れないのです。少し話し相手になってもらえませんか?」
 教祖様はそばの椅子にこしかけると、静かに話しはじめました。

 「水晶玉を使って、私は人々の未来を見ることができます。人々は私にいろいろな相談を持ってきます。今日やってきた男女は、心から愛し合っているのに添うことができないと嘆いていました。私はその人たちに『真に愛し合う者たちは、今生で添えなくても来世では必ず一緒になることができます。だから今生を大切に生きることです。今生を大切にすることで来世の幸せが約束されるのです』と説きました。」

 「いつも教祖様が言われていることですね。その通りだと思います。そう信じることで生きる目標ができると思います。」
 そういって教祖様の顔を見た男は、目に涙を浮かべている苦しげな表情にハッとしました。
 「私にもそう言ってくれる人がいればいいのに・・・私も心の中は誰にも言えない悩みでいっぱいなのです」
 男が黙っているのを見て、教祖様はさらに苦しげな表情になりました。そして、目をふせたままで一気にこう言いました。
 「私はあなたを心から愛してしまったのです。でもあなたには妻も子もいる。あなたのことを必要としている人たちです。その人たちを苦しめることはできない。」

しばらく考えてから、男は答えました。

「私も、いえ、僕もずっと同じ気持ちでした。あなたのことを一人の女性として愛してしまいました。そしてあなたの気持ちにも気づいていた。だからこそ、僕は精一杯世のため人のために働くのです。家族も大切にしています。今生を大切に生きれば、来世ではきっと真に愛する人と・・・」
 「いいえ。本当は来世などないのです。」
 男は驚いて、教祖様の顔を見ました。

 「でも、いつもあなたはそう言っていたし、みんなもそれを信じて・・・」
 教祖様は強い口調で男の言葉をさえぎりました。
 「どうしようもない苦しみや哀しみを抱えて、生涯逃れられない運命にある人たちを、何といって慰めたらよいのです? その中で希望を持てと言うことは、あまりにも過酷です。今生がだめでも来世になら希望が持てる。勇気をもって困難に立ち向かってもらうために、来世があるなどというウソを言い続けてきたのです。」
 「そんな・・・。それでは、あなたと僕のことも・・・」
 「ええ。あなたはあなたの道を、私は私の道を、それぞれの役割を立派に生きる。皆から尊敬され慕われて・・・それぞれに一生を終えるのです。私が水晶玉を通して見たのはその姿です。今生でも来世でも、結ばれることはありません。」
 「それでは、今まであなたの言うことを信じて努力してきた僕は何だったのです?! あなたは嘘つきだ。」
 「・・・その通りです」
 教祖様は下を向いたまま、震える声で言いました。

 男はしばらく黙って月を見ていましたが、立ち上がると、
 「あなたに教祖を名乗る資格はない」
 と言って、教祖様の首にかかっている水晶玉のネックレスをはずしました。しばらくためらっていましたが、やおら力をこめて引きちぎってしまいました。それだけではまだおさまらずに、床に散らばった玉を一つ一つ拾っては、すべて窓の外に放り投げてしまいました。

そして穏やかな、はっきりとした声で、
 「そんな未来をうつす水晶玉も、嘘つきの教祖様もいらない。僕にはあなたがいるだけでいいんだ。」
 男は愛しい人の髪をなで、涙にぬれた頬にそっと手をふれました。

「・・・ありがとう。これで楽になりました。もう未来を見なくてもいいのですね」

満月の光に照らされて、二人はしっかりとお互いを見つめあいました。