My Elephant
僕は、僕のゾウを探している。
僕のゾウがいなくなってから、今日で1ヶ月がたった。あれからあちこち探してみたが、僕のゾウの姿はどこにも見つからない。遠くに行ってしまったんだから、そこらへんを探しても会えるわけはない。そんなことはわかっている。でもどこかで会えるような気がして、探さずにはいられないんだ。
今日はゾウと初めて会った動物園に行ってみた。ゾウのコーナーには、ゾウが1頭、つまらなそうに鼻をぶらぶらさせている。鍵の束を持ってやってきた飼育係の人に、思い切って声をかけてみた。
「すみません、・・・あの、もう1頭のゾウは、どこにいったんですか?」
飼育係の人は、わけがわからないという顔をして僕を見た。
「はぁ? ここのゾウは何年も前からずっと1頭だよ。2頭いたなんて、聞いたことがないなあ」
違う。あの日、僕は確かに見たんだ。ここには2頭のゾウがいた。やはり、僕のゾウは僕のゾウだった。そして僕のゾウはもう、ここにもいない。僕は急いでゾウのコーナーを離れると、出口に向かって走り出した。閉園時間を告げるアナウンスが冬空に響きわたった。
あの日・・・
明日から6年生になるという春休み最後の日、家族で動物園に行った。本当は友達と約束があったのに、ユカが、ダダをこねて泣き出したのがそもそもの原因だったのだ。
「お兄ちゃんと、お別れなんて、イヤだ。ユカはお家に帰らない。」
ユカは休み中、家で預かっていた親戚の子。大きくなったらタカユキ兄ちゃんのお嫁さんになるの、とかいって2週間の間、僕にべたべたとつきまとい続けた。今日は母さんがユカを動物園に連れて行くというから、やっと一日友達と遊べると思ったのに・・・朝食のテーブルには見る見るうちに暗雲がたちこめてきた。
「タカユキ、今日はユカちゃんと一緒にいってあげなさい」
お父さんの一言で、僕の運命は決まった。春休み最後の日、僕は家族サービスに徹するのだ。まだ小学生の身だというのに。
動物園に着くと、ユカははしゃいで走り回って、僕らはユカが迷子にならないように追いかけているだけで精一杯だった。僕にとっては毎度おなじみの動物園だから、特に目新しいものもない。早く帰る時間にならないかと、僕はそればかり考えていた。
ゾウのコーナーの前を通り過ぎようとしたとき、僕は立ち止まった。誰かに見つめられている感じがしたのだ。見ると、1頭のゾウが僕の方をじっと見つめている、ように思えた。草を食べる動物特有の、少しうるんだ哀しげな瞳だった。「よう!!」と声をかけてみたが、ゾウの目線は動かなかった。そしてゾウが何か言いたげに鼻を動かしかけたその時、「お兄ちゃん!! こっち来て!!」と甲高い声がして、僕はギュウギュウ手を引っ張られてライオンさんのコーナーに連れて行かれた。
夕方、ユカの家の人がユカを迎えに来て、そのまま夕食になった。僕は手早く食事を終えると、大人たちの笑い声を後にした。帰り際に泣かれたりしたらたまったものじゃない。ここはさっさと姿を消すに限る。部屋のドアを開けると、何か大きなものが動く気配があった。明かりをつけると、そこにはゾウがいた。
「な・・・なんでゾウがここにいるんだよ!!」
「すみません。これには、わけがあるのです」
ゾウと会話できることを不思議に思う余裕もなく、僕は問い返した。
「わけって何だよ!!」
・・・そして僕はゾウの長話に付き合わされる羽目になった。
ゾウの話は一時間以上かかったが、かいつまんでいうと、動物園にいるのがいやになって抜け出して来たらしい。どうやってここに来たんだか、どうやってこの巨体が誰にも見つからずに二階まで上がりこんだんだか、聞いてみたけれどちっとも要領を得ないので、僕はあきらめて、最後にひとつだけ、どうしても納得の行かない疑問を尋ねてみることにした。
「なぜ、他の人じゃなくて、僕についてきたんだ?」
ゾウはびっくりしたような顔をして、僕の方を見た。
「だって、君がそういったから」
「そんなこと言った覚えはないぞ!!」
「だって、ほら、そこに・・・」とゾウは僕のトレーナーの胸を鼻で指した。
「書いてあるじゃないですか。僕についてこい、って」
昼間からずっと着ていた白いトレーナーには、胸に大きく “FOLLOW ME” と書いてあった。小学校でも外国の先生が時々来て英語を教えてくれるが、ゾウに英語を教えてもらった小学生は、僕以外に多分いないと思う。
その日からゾウは僕の部屋に居付いてしまった。慣れてくるとゾウはなかなかいい奴だった。頭がよくて英語はもちろんのこと、算数や社会の宿題も、わからないところを聞くとたいていは答えてくれたし、僕が浮かない顔をしていると「学校でいやなことでもあったの?」なんて、気遣わしげに尋ねてくれる。そして僕の話を何時間でも聞いてくれるのだった。甘いものが好きで、おやつに板チョコをもらったときは、部屋に持って上がると喜んでパクリと一口に食べてしまう。ポテチも、おにぎりも、僕のおやつは全部ゾウのおやつになった。ゾウがうれしそうに食べるのを見ていると、僕もうれしい気持ちになった。
しかし、ゾウには欠点が二つあった。
一つは話が長いこと。それも同じことを何度も繰り返すのには、参った。中でも生まれ故郷の話は、毎日のように聞かされたので暗記してしまったくらいだ。くどくどと堂々めぐりをして、いつ果てることもなく続くゾウの長話を聞きながら眠るのが、僕の習慣になってしまった。
もう一つは、深夜にどこかへ出かけてしまうことだった。トイレに起きてみると、ゾウがいない。おかしいと思いながらまた眠ると、朝にはちゃんと帰ってきている。「狭い部屋では運動不足になるので、時々散歩をしているのです」と言うのだが、誰かに姿を見られたらどうするんだ、と僕は心配で仕方がなかった。しかし、ほとんどの人にはゾウの姿は見えないらしい。隣のお父さんがお酒をたくさん飲んで真夜中に帰ってきて、ゾウを見たと大騒ぎしたことがあったが、酔っ払いのたわごとと片付けられた。遠征試合のために暗いうちに家を出た野球部の子が、ゾウの姿を見たと学校でうわさになったこともあったが、これも結局は寝ぼけていたんだろうということで片付けられた。要するに普通の人の普通の状態では、ゾウは見えないようだ。それでも僕は心配だった。
でも、それ以外はゾウはとてもいいヤツだった。いつしか僕とゾウは心からわかり合える親友となっていた。
2学期も終わりに近づいた日、宿題をしている僕に、ゾウは落ち着かない様子で突然切り出した。
「タカユキ、私は行かなくてはなりません」
「行くって、散歩にはまだ早い時間だろ?」
「生まれ故郷で、大きな地震が起こるのです」
僕はまじまじとゾウの顔を見つめた。
「おまえ、予知能力でもあるのか?」
「そんなものはありません。でも、これは本当です。本当に起こります。沢山の人が死にます。生まれ故郷の人たちを助けなければ」
「やめろって。誰かに姿を見られたらどうするんだよ。捕まえられて動物園へ逆戻りだぞ」
「捕まえられないように、タカユキ、君も一緒に行って下さい」
僕は絶句した。
「一緒に、って・・・」
「お願いします。一生のお願いです」
僕は考えた。ゾウと一緒に、ゾウの生まれ故郷へ行く。それは確かにワクワクする冒険だけど、あまりに非現実的だ。今度の土曜の参観日には班で発表をすることになっていて、僕がいなければ皆に迷惑がかかる。第一、親がそんなこと許すわけがない。それにゾウをどうやって飛行機に乗せるんだ? 飛行機代はいくらかかる?
「無理だよ。やめとけって」
ゾウはそれでもくどくどと僕を説得し続けた。しまいには涙声になって
「タカユキは私のことを友だちだと思っていないんですか?」
とまで言った。僕はめんどうくさくなって、
「ああ、そうだよ。人間とゾウが友だちなわけ、ないだろ?」
と言ってしまった。
ゾウはそれきり、何も言わなくなった。
ゾウが黙ったので、僕も黙った。心の中では「ごめん」の一言がうずまいていたが、今それを言ったらまた長話に逆戻りだと思ったから、僕はそのまま黙っていた。そしてベッドにもぐり込み、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝、ゾウはいなくなっていた。
その日の夜、テレビは外国で起こった地震の話で持ちきりだった。暗記するほど聞かされた、ゾウの生まれ故郷の国。僕は夕食もそっちのけで、テレビに釘付けになった。そして見てしまったのだ。
そこにゾウがいた。前足で、鼻で、がれきの山を必死で掘り返していた。足も、鼻も傷ついて血を流しながら、それでも掘り返していた。間違いなく僕のゾウだった。周りには汚れた服を着た人たちが大勢立ち尽くしていた。泣いている子どももいた。僕は自分がそこにいないことを、友だちを助けられないことを、心の底から後悔した。
僕の友だちのゾウはもういない。もう長話を聞かされることもないし、夜中の外出にハラハラすることもない。おやつの板チョコはいらない、とお母さんに言ったら「あら、タカユキも大人になってきたのかしらねえ」と言われた。大人になると板チョコが嫌いになるのだろうか。大人になった僕なんて、まだ僕には想像もできない。でも一つだけ、大人になったらやりたいと思うことがある。
英語や算数を教えてくれるゾウはもういないけれど、僕はがんばってたくさん勉強をして、いつかゾウの生まれ故郷に行きたいと思う。そして、あの時言えなかった一言を、言うことができたらいいと思う。